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ぐるぐるぷらぷら

Silence is wisdom when speaking is folly.

夢の行く末

 号泣して起きた。

 夫が余命宣告された夢を見たからだ。

 現実は猫のゲロに「うお!」と叫んだシャワー上がりのバスタオル一枚でいる無駄に良い身体の夫の姿があっただけなのだけれど。

 

 初めての結婚記念日に夫が暮らしていた広島に旅行へ行った。

 お互い大いに酔っ払って飲屋街をフラフラ歩いていた時に、当時勤めていた職場の人に連れてきてもらったというストリップ劇場の前を通った。夫が呼び込みの男性に「女でも大丈夫?」と聞いてくれ、普通に女性も見に来ていると言われたので緊張しながらもワクワクして中に入った。やはり男性ばかりだったが、連れの男性と一緒に来たのであろう女性も数名いた。私より年上の女性ばかりだったが同じ「女」がいるというだけで随分安心した。

 どこで見聞きしたか分からない知識としてあったストリップ劇場の想像通りであった。薄くくすんでいるような床や壁、座席の質感はもう覚えていない。ステージがあって中央には円形の台がせり出している。ああ、これが「盆」かと知らぬ間にあった知識につなぎ合わせた。

 客席の両サイドには各3〜4人のおじさんやおにいさんが立っていて、スタッフかと思っていたらステージの最中に紙テープを投げ、素早く巻き取ってまた投げて巻き取ってを繰り返していたり、ホストの技だと思っていた超絶技巧のタンバリン芸を女子十二楽坊のあの曲に合わせて叩いていたりしていた。その手練れに目の前で美しい姿を魅せてくれているおねえさんよりも目を奪われた。

 もちろん一番前には数人の男性がかぶりつきで見ていて、ポラロイドを撮る段になれば積極的に手を挙げ写真を撮っていた。どの人もニコニコの満面の笑みだった。

  おねえさんはどの方もスタイル抜群で妖艶で、しなやかで美しい踊りをしていたのだけれど、こういってはとても失礼なのだろうが何故だか私にはまったく厭らしさを感じなかった。おねえさんだけではない。劇場の壁に貼ってある卑猥なポスターや、完全アウトなポラロイドを手にニヤけてるおっさんも、後ろの隅の席で座っている浴衣姿の女連れで来ているむっちりとしたおっさんも、ピンクや紫の照明も、さっきのおねえさんが自ら身体に垂らしていた赤い蝋燭の名残も。

 むしろ、紙テープやタンバリンでおねえさんを存分に乗せて美しく輝かせる客と、輝いているおねえさんが大好きで仕方がないかぶりつきの客、その客に満たされてもらう為に輝くおねえさん。

 

 もう、この場を作っている人たちがこの場所を好き過ぎるだろ!

 エロ万歳!ストリップ最高!

 それでいいじゃない!

 たまたまちょっと冷やかし気分で入った私たちのような輩でも優しい目で受け入れてくれているように思えて、すっかり楽しんでしまった。夢心地で気分よくテンション高く小屋を後にしてからはよく覚えていない。真っ直ぐホテルに帰ったのか。いや、私たち夫婦のことだ、どうせもう2軒ぐらい回っている気がする。

 ただあの衝撃的で刺激的な夜は大げさでなく、今でも私の財産の一つとなっている。

 あれから広島へは何度か行ったが、あのストリップ劇場へは足を運ばなかった。さすがに一人旅や友人とでは行く勇気がなかっただけなのだが、いつも存在は気になっていて、そっと近くの道を通って横目で見るだけだった。

 

 そのストリップ劇場が、明日1/31で閉店するらしい。

 今朝見た夫の余命宣告の夢と、このストリップ劇場の閉館が嫌な感じでリンクする。(余談だが「リンクする」というとDA PUMPのあの曲が頭に勝手に流れて来ないだろうか。)

 

 夢で夫は死ななかった。

 何事もないかのように日々を淡々と過ごす私と夫だけれど、フとした瞬間に私は未来のことを考えているが、夫にはもう未来がないんだという現実を突きつけられて悲しみが噴出し、泣いた所で目が醒めた。

 こんな夢を見た理由は分かっている。寝る前に、大病をして生死を彷徨った人の本を読んだからだ。理由が分かっているので悲観的にならなかった。ただ起きて少しだけ夫に甘えた。あまりに盛大な2回目の猫のゲロですぐ我に返ったけれど。

 

 夕方、件のストリップ劇場「広島第一劇場」の閉館のニュースを目にした瞬間いきなり不安に襲われた。

 自分が無職でグウタラな日々を過ごしているので夫に愛想を尽かされやしないかと戦々恐々としている。でもグウタラをやめられない葛藤が余計に妄想を加速させる。

 いつ壊れてもいいようにと心構えをしていないと、いざその日が来た時に耐えられない。そうやってあの広島のストリップ劇場から十数年過ごしてきた。これはもう思考の癖なのでやめられない。でもやっぱり嫌だ。見て見ないフリをしよう、そうしよう。

 

 そう思っていたら猫のゲロがこたつ布団にまでかかっていた。

 干したこたつ布団が乾かないので今の私はとても寒い。今日も夫は帰って来ない。

 

 酒でも飲まなきゃやってられん。

 

 

www.hiroshima-daiichi.jp

 

物忘れ

 物忘れが激しい。

 人の顔や名前は覚えていた。でも出て来ない。5秒前に考えていたことを忘れる。買い忘れる。立ち上がった瞬間忘れる。動きを止めた瞬間忘れる。酒を飲んだらどうでもよくなる。寝る前にいろいろ考える。起きた衝撃で忘れる。メモを用意する。手にした瞬間忘れる。ペンを買い忘れる。メモを持ち忘れる。メモしても忘れる。メモを捨てる。メモが読めない。いさぎよく「名前何だっけ?」と聞く術を身につける。顔も声もバックグラウンドも全部覚えてるが名前が出てこない。忘れたことを思い出す気配もない。後回しにして忘れる。忘れたことも忘れる。全てなかったことにしたいと思いながらなかったことにするけどなかったことにならない。

 

 メモをこまめに取るようにした。普段居座るテーブルとキッチンに一つずつ、iPhoneのメモも活用するようにした。新しく持ち歩き用のメモ帳も買った。あとは枕元用にメモ帳を置けばいいが、電気スタンドが欲しい。

 

 8年ほど、暇つぶしをする仕事をしていたので(もちろん給料は発生するし税金も納めた)いかに忙しそうに暇を潰すかで日々四苦八苦していた。そのせいだと思うが、考えて記憶する能力がどんどん劣ってしまったような気がする。

 焦ったので簡単そうな資格を勉強して一つ取得しようとし、満点に近い点数で合格してしまったのでそこから先に一歩たりとも進んでいないし、むしろ無職になったので五十歩ぐらい後退しているような気がしている。

 

 目下の目標はメモすることで満足して忘れない。

本と風呂

 本と風呂、どちらも億劫と思える両巨塔である。

 風呂に入れば濡れる。濡れたら乾かさねばならない。湯船に浸かっている間は暇。夏は暑く冬は寒い。入ったら隅々まで満足するまで洗わねば気が済まない。疲れる。だから風呂に入るのは面倒くさい。しかし社会生活を営む上では風呂に入らないということはありえない。何せ臭いが人様にご迷惑をかけるとあらば、それは面倒でも億劫でも入らなければならないだろう。私ごときが人様にご迷惑を掛けるのは一つでも減らさなければいけないのだから。

 本を読むのも似た面倒さを感じる。

 まずは長時間同じ体勢でいなければならないことが苦痛である。座っていても寝ていても右を向いても左を向いても上でも下でも身体にどこかしらの負担を感じる。そして読んでいる本の内容を人に知られるのも嫌だからブックカバーを付けたまま読むのだが、そのブックカバーがだんだんとズレてくる。読む本毎にブックカバーを取り付けるというマメな作業は出来るはずもなく。いざ読もうとすれば腹が減っていることに気を取られ、腹を満たしている間は書籍という高尚なものを近付ける訳にいかずゲームで数十分ほど目の暇つぶしをしている間に気付けば数時間なんていうこともザラである。他愛のない時間を過ごす間、本の存在を右肩あたりで感じながらも「また体勢が整ったら…」という言い訳の海に沈めて麻雀ゲームを始めたりする体たらく。

 何より本の内容に没頭する集中力が足りないのだ。

 音があればそちらに気を取られる。喫茶店で読もうとすれば隣のサラリーマン二人組の会話や、母親ぐらいの女性三人組のはしゃぐ様、うら若き女性たちが同じテーブルについているのに話すことなくスマホに向かっている姿を見ると、どうしても気に取られてしまうし、音楽を聴いているとその音楽に夢中になってしまう。どうも私は目よりも耳のほうが脳との繋がりが強いらしい。

 日々の諸用を済ませトイレに行き、無音の状況を作って飲み物やタバコを目の前に据え置く。そうしてから私の読書の時間が始まる。ほら、面倒くさいでしょう。

 そして‪読書とは、読みたい所を読むまでの我慢の所業である。ついつい小説は頭を読んでラストを先に読んでしまう。これが一番安心して楽しめる方法だからだ。‬ラストが気になって気になって話が頭に入ってこないより健全な方法であると思う。そして何度も何度も読み返す。気に入れば作者が勘弁してくれというまで何度も凌辱の限りを尽くす。

 本は読まなくても人様にご迷惑を掛けることは極少ないが、風呂には入らなければならない。風呂に入ることは少なからず異性に対する良く思われたいという邪な感情が入らせるに至るが、本を読まないことを責めてくる異性は鼻から好意を持たないことがますます私を読書という行為から遠ざける。

 

 本も風呂も、どちらも億劫と思える両巨塔である。

 ただし何が厄介かというと、どちらもやれば快感なのである。ただそこに辿り着くまでがとても億劫なだけだ。

 分かっていても億劫なのである。

とりあえず

 インターネットをはじめて20年近く、ずっとどこかしらで何かしらを書き綴ってきた。けれど、ここ数年はどこへ書くということもして来なかった。過去に書き落としてきたものたちはいつ死んでも構わないように全て抹消した。後はFacebookInstagramに当たり障りのないものたちが少し佇んでいるだけだ。

 見られて恥ずかしい物は手元にまだ残ってはいるけれど、データの中には趣味嗜好が多少露見する程度のものしか残っていない。

 

 無職で無趣味で有り余る時間があるはずなのに、ここ1年超何もして来なかった。ブログもまた書こう書こうと考えているうちに書かずにいた。いつ死ぬか分からないのにそんな恐ろしいものを残しておくなんて出来なかった。

 どうせ3回程度更新したら飽きるだろうから、気の赴くままにはじめてみる。

 きっと多分絶対酔っ払っているせいだ。