ぐるぐるぷらぷら

Silence is wisdom when speaking is folly.

見逃す才能

 私が面白いなぁ、と感じる人が持っている才能のうちの一つは「見逃さない才能」だと思う。それを「記憶しておく」という才能も必要だろうけど、まずは「見逃さない」ということが大事。

 「見逃さない」ということは「違和感」を持つということと同意であると思う。

 街中の普遍的な人たちに混じる小さな違和感。何の変哲もない公園に宿る小さな違和感。昨日と同じように過ごす今日に感じる小さな違和感。その違和感を違和感として感じる。そして表現できるのが一つの才能のような気がしている。とても羨ましい。

 本を読みながら、自分が抱えていた何とも形容しがたい感情を文字で表現された時、ぐっと首を抑えられた気がする。その部分だけ何度も何度も読み返し、どんどん息苦しくなってとりあえず前に進める。でもその苦しさがまとわりついてしばらく話が入ってこないということもしばしばある。

 変わった人に遭遇するということも「見逃さない」才能かもしれない。

 私の周りには変人と形容されるような人はいないと思っているが、見る人が見たらとても変な人かもしれない。それは自分かもしれない。だけども皆生活を滞りなく送っていて、話していても考え方が変わってるとか、動きがおかしいとか感じたことがない。至極真っ当面白みもなく日々を営んでいる人たちばかりだ。あの人やこの人が書いているような人は本当に存在しているのだろうか、とすら感じる。もしかしたら実は出会っているのだけど、あまりに変わっているので怖くなって存在しないことにしているとしたら、ある意味一つの才能なのかそれは。

 

 「見逃さない」人たちは「記憶力の良い」人たちなのか。それとも小さな小さなたくさんの引き出しにしまってある「記憶を取り出す」ことが上手い人たちなのか。どちらの才能もないので、本当に羨ましい。